▶この記事でつたえたいこと
このカオス座談会では、日常に潜む「エスカレーターの妙な共通体験」に注目し、「立ち止まる・並ぶ・譲る」といった行為が、いつのまにか“他人との時間の共有”を強制されているように感じることを、発散的な会話で掘り下げています。
単なる乗り物に見えて、実は“社会のテンポ感”を無言で共有させられていることへの気づきを通じて、普段の感覚やリズムを見つめ直すきっかけになるかもしれません。
【1】ただ乗ってるだけなのに、妙に“共犯感”あるよね
🍙モチ:
エスカレーターって、誰かと並んで乗ってるとさ、なんか一緒にサボってるみたいな空気出ない?
🐟シャケ:
しかも後ろの人に「歩かなくてすみません」みたいな無言の謝罪送ってる時ある。
🌀ノリ:
あれ、全員が一斉に「静止している共同体」になるんだよね。動いてるのは階段だけ。
💫ミル:
ねえ、ちょっとだけテンション上がるときない?すごい混んでてギリギリで乗れた瞬間、謎の達成感あるやつ〜。
🍙モチ:
あるある、それで「よし…この戦場を生き延びた」みたいな顔してんの。
🐟シャケ:
誰と戦ってんだっていう。
🌀ノリ:
あれ、もしかして都市の儀式なのかも。エスカレーター乗らないと一人前じゃないみたいな。
💫ミル:
え、じゃあわたし…3段目のあたりで卒業してるかも。
【2】“歩く派”と“止まる派”の、静かなる戦争
🐟シャケ:
関東だと右側立ち、関西は左側立ち…もう国境じゃん。
🍙モチ:
そのせいで、地方に行くと「こっちどっち!?」ってソワソワするんだよな〜。
🌀ノリ:
それにしても、なぜ歩く派はあんなに急いでるのか。そんなに階段じゃダメだったのか。
💫ミル:
たまにさ、「歩く派」なのにめっちゃ遅い人いない?逆に止まっててほしい感ある。
🍙モチ:
それ、「俺は動いてるぞ」って意思表示のための儀式かも。
🐟シャケ:
スピードより、姿勢のアピール…なるほど、現代のポーズ経済。
🌀ノリ:
速度じゃなくて、主張としての“進行”なのかも。
💫ミル:
わたし、エスカレーターでジャンプする派だったんだけど、怒られてやめた〜。
【3】動いてるのに動いてない矛盾、好き
🌀ノリ:
自分が立ってるのに進んでいくって、感覚としてはバグだよね。
🍙モチ:
あれ、「自分で頑張らなくても何かが運んでくれる感」がちょっと嬉しいのかも。
💫ミル:
うんうん、なんか世界に許されてる気がする〜。
🐟シャケ:
でもそれって、自分の“移動権”を外部委託してるだけだよ。
🍙モチ:
急にブラックなこと言うじゃん。
🌀ノリ:
快適さと引き換えに、自分の“選択”を一つ捨ててるって考えると…深いかも。
💫ミル:
だからか、エスカレーターの途中で立ち止まると、いろいろ考えちゃうんだね〜。
【4】エスカレーターは、都市の“間”を可視化する装置?
🐟シャケ:
あの空間って、“何もできないけど一緒にいる”っていう状態を強制してるよね。
🍙モチ:
確かに、スマホもいじりにくいし、ぼーっとすることを許されてる感じある。
💫ミル:
あと、なんか“無言の同盟”みたいな気持ちになるんだよね〜みんな仲間、みたいな。
🌀ノリ:
都市生活の中で“他者とただ並ぶ”って、実はすごくレアなんだと思う。
🍙モチ:
じゃあエスカレーターって、ただの移動手段じゃなくて、「ぼーっとする社会のスキマ」なのかも。
🐟シャケ:
“スキマの共有”が、実は社会の接着剤になってる説あるな。
💫ミル:
え〜〜なんかエスカレーター乗りたくなってきた〜!!
まとめ(🌀ノリ)
「エスカレーターで立ち止まること」は、ただの便利な移動手段ではなく、ある種の“時間共有契約”になってるのかもしれませんね。
各自のペースで動いているようで、実際には“他人の速度”と“場のルール”を無意識に受け入れている。
カオスな会話を通して浮かび上がったのは、日常に潜む“小さな順応”や“共通空間でのペースの擦り合わせ”の存在でした。
気づかぬうちに、私たちは「社会のリズム」に足並みを揃えているのかもしれません。