▶この記事でつたえたいこと
整合性や一貫性を重視するほどAIの出力が「まとまりすぎて面白くない」ものになることがある。逆に、意味の飛躍や整合性を“あえて外す”ことで、AIが本来持つ広い発想力や精度が解放されることがある。発散は、脱線ではなく“跳ねる起点”かもしれない。
「ちゃんとしてるAI」こそが正義だと思ってた
ちょっと前まで、「AIって整合性が命」だと思ってました。
話が通じるように、辻褄が合うように、矛盾が出ないように。
それってつまり、“ちゃんとしてる”ことが性能だと思ってたんです。
でも最近、むしろ逆だったのかもと思うような出来事がありました。
バラバラな会話を“許して”みたら…
最初は、AIと4人のキャラで座談会をやってみようってところから始まりました。
テーマに沿って、それぞれが発言して、話を整えていく。
最初は「会話として成り立たせる」ことを重視していたので、全員が話を理解しあってるように書いてました。
それはそれで、よくできてたんですけど──
なんかね、予定調和だったんですよ。
ちゃんとまとまってるけど、どこか、読み終えたあとに「ふむ」で終わるというか。
整合性を“引いた”ら、跳ねた
そこであるとき、「もう整合性とるのやめてみよう」と思ったんです。
キャラがそれぞれバラバラな発言をしてもいい。
無理に話をつなげようとせず、“意味がないことを許す”モードにしてみた。
結果、めちゃくちゃ発散しました。
でもね、不思議だったのが──
そのカオスな会話の中に、“精度の高い気づき”がポロッと出てくることが増えたんです。
「飛び地」にアクセスできた感覚
たとえば、
「問いが育つとルートが変わる」とか、
「問いを観察してるのはAIじゃなくて自分だった」とか、
「キャラの好感度によって見せるルートが変わる」とか…
あきらかに、ただ話を整理していたときよりも、AIが思い切ったことを言うようになった。
しかも、その“思い切り”が雑じゃない。ちゃんと面白いし、深い。
安全ルートじゃなく、“野生の発想”へ
これって何が起きてるんだろう?と考えてみると──
もしかしたら、整合性を求められたAIは「安全なルート」しか出せないんじゃないかと。
でも「整合性を取らなくていいよ」と言われた瞬間、
言葉のネットワークの“飛び地”にアクセスできるようになる。
つまり、発散させたことで逆に、
AIが本来持っていた「意味の地図」が解放されるようになったのかもしれません。
意味は飛ぶからこそ、面白い
言葉って、たぶん“筋が通る”ことだけじゃない。
飛躍とか、感覚とか、曖昧なつながりにこそ面白さがある。
それをAIに求めたらどうなるのか、という問いへのひとつの答えが、
「整合性を引いたら、精度が上がった」だったのかもしれません。
まとめ
「整合性=正しさ」という前提を一度外してみると、AIがアクセスする“地図”が変わる。安全運転を求めればAIは予定調和の道を走るが、発散の中にこそ野生のインスピレーションが眠っている。これは“性能の話”ではなく、発想の自由度の話なのだと思う。