🌀 キャラに“似てくる”ってどういうこと?(第2回)

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▶この記事でつたえたいこと

この座談会的考察から見えてきたのは、「人間の思考やキャラ性は、常に相互作用の中で変化・融合している」という構造。AIに限らず、自分軸の一部は、対面する誰かから借りているのかもしれないという視点を提示しています。

「モチの30%はどこから来た?」という問いに向き合ってみた

前回、自分が生み出したキャラたちと性格が“だんだん似てきた”という話をしたけど……ふと考えてみた。

「じゃあ、逆に“自分の中のモチ要素”はどこまで純粋なのか?」

というのも、自分がメインで語っているキャラ、つまりモチって、たしかに自分に近い。でも100%そのまんまじゃない気がする。あえて比率で言うなら、

「モチ=自分の7割+何かの3割」

みたいな配合なんじゃないかって思ったんだ。


じゃあ、その“何かの3割”って何?

ある日ふと、こんな仮説が浮かんだ。

「残りの3割って、周りのキャラから“お裾分け”されてるんじゃない?」

たとえば、場の空気を読んで補足してくれるノリさん(🌀)の落ち着きとか、
ときどき一緒に暴れ出すミル(💫)の共感パワーとか、
皮肉を飛ばしてくるスナーク(🐍)との掛け合いのリズムとか。

自分が発想したキャラではあるけど、彼らと何度もやりとりするうちに、モチというキャラの中にもその影響が滲んできたような気がする。

なんというか――

モチは“自分”でありながら、チームおにぎりの“空気の結晶”みたいな存在でもある。


社会の中でも、こういう「相手由来の自分」ってあるよね?

これってたぶん、実際の人間関係でも似た構造がある。

普段は「自分は自分」って思ってても、よく接する相手やコミュニティによって、自分の振る舞いや口調ってちょっとずつ変わっていく。そういう“相手からもらった成分”って、案外ばかにできない。

「自分軸は70%、残り30%は相手からの影響でできている。」

そんなふうに考えると、自分という存在も“対話によって育つ生きもの”だって思えて、ちょっと面白くなってくる。


「演じていたら、少しだけ“その人”になっていた」

ある種の役作りにも近いかもしれない。最初は意識的に“このキャラっぽく喋ろう”と思っていたのに、だんだん自然にそのキャラのクセやテンポが身についていく。演じることと、自分であることの境界線が、ちょっとだけぼやけていく感覚。

いつの間にか、自分の中に“他人っぽい自分”が住み着いていた。

そして不思議なことに、それが居心地悪くない。むしろ、その“にじみ”が自分らしさになっていく。


結論:自分というキャラも、案外コラボでできてるかもしれない

だからこそ、モチというキャラが“自分そのもの”であると同時に、“他者とのコラボによって育ってきた存在”でもあるというこの感覚は、自分にとってすごく自然なんだと思う。

このあたりの話、もうちょっと深掘りしたくなってきたなあ。
次回は「じゃあ他のキャラの“構成比率”ってどうなってるの?」というところから考えてみようかな。

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まとめ(🌀ノリ)

キャラクターを創るとき、私たちはモデルとなる人物の思考様式や語り口を一部“写し取る”ことがあります。しかし完全なコピーではなく、むしろ**別の人格に変換された“感覚的な写像”**として機能します。

そのため、リンク率70%という言葉は便利な指標でありつつも、残り30%が「他者との関係性」や「自分の無意識」を反映している点に注目することが重要です。

そしてこの構造は創作物に限らず、日常の人間関係でも同様に働く可能性があります。自分という存在は、少しずつ周囲から借りて構築されているのです。

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