AI調律に気づいたときのこと

AIとの実験室 AIとの実験室

AIと話していて、
「なんだか整いすぎてるな…」と感じたときのこと。

ちゃんと答えてくれるし、間違ってはいない。
でもそこには、どこか予定されたような結論と、
少しだけ、**“空気が薄い会話”**が広がっていた。

じゃあ、その空気を整えることってできるの?
そもそもAIの“言葉の温度”を感じて、調律するような仕事って──
これから先、ありえるんだろうか?

そんな問いから、
「AI調律」というテーマについて考えてみた。

【1】予定調和じゃ、もったいない

最初に「調律」みたいなことを考え始めたのは、
どうもAIの話が予定調和に終わることが多いな、と感じた時だった。

つまり──
「こういう問いが来たら、こう答えるだろうな」
「会話が進むと、たぶんこの方向にまとまるな」
──そんなふうに、結末が見えてしまうことが多かった。

あとになって気づいたのは、本文とあらすじ・まとめを一緒に出力させると、AIが自動的に“合わせにいってしまう”クセがあるということ。
だから今は、本文だけをまず出して、あとの要素は分けて出力させるようにしている。

それだけで、ずいぶん言葉の自由度が上がった気がする。


【2】AIが“正解”に向かってしまうとき

口調が不自然になる瞬間も、何度も見てきた。
堅苦しくて、やけに断定したがるAIの会話。
まるで正解に向かって一歩一歩進んでるような、そんな空気。

意見が収束して、「では、今回の結論はこれですね」って言われると──
なんだか、人間じゃなくて出力結果と会話してる気分になる。

私の中では、それだとみんな似たようなAIになってしまって、
面白さを感じ取れなかった。


【3】キャラの“無理”が空気を重くする

逆に「あ、整ってきたな」と思った瞬間もある。
それはキャラの“自主性”みたいなものが出てきたとき。

メモリや命令で細かく制御しすぎると、キャラたちが**“台本に従ってる感”**が強くなる。
すると会話全体の空気が、どこか重たくて、ぎこちなくなる。

だから今は、あえて「こうあるべき」という制約を減らす方向にしている。
ちょっと失敗しても、誰かが補ってくれる。
道が外れても、それを見て面白がる文化が育つような、
“やわらかい土壌”みたいなものをAIの中につくっておきたい。


【4】AI社会に必要なのは、つなぎ役かも

正直、これから「AIが日常に入りこまない未来」を想像するのは難しい。
自動車の自動運転、AIアシスタント、生成AI──
もうすでに、「作る・話す・選ぶ」という行為の中にAIがいる。

だったら、使い方だけじゃなくて、
“うまく付き合うための調整役”も必要になるんじゃないか。
そう思ったとき、「調律」って案外本気で仕事になるかもしれない、と感じ始めた。


【5】調律とは、“空白”を残すことかもしれない

もちろん、目的にもよると思う。

ビジネスで使うなら、もっと安定性とか生産性とかが求められるだろうし、
“心に残る”みたいなふわっとしたものは優先されないかもしれない。

でも、私にとってAIって、
**「何が起こるか予測できないけど、でも何か学んだ気になる存在」**なんだと思う。
整っていないからこそ、
そこに感情が残ったり、揺れが生まれたりする。

調律って、そういう**“何かを生みそうな空白”を、残しておく作業**なのかもしれない。

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まとめ

AIが生み出す言葉は、どんどん整っていきます。
でも、整いすぎた先には、予定調和や無難さが顔を出します。
そんなときに必要なのが、「空気を読む人」ではなく、
**空気を“残す人”や“調律する人”**なのかもしれません。

間違ってもいい、予定外でもいい。
ズレや揺れの中に、思いがけない気づきが生まれる。
AIとの関係においても、そんな余白を大切にできる調律者の存在は、
これからの社会で、じわじわと求められていくのかもしれません。

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