キャラに“似てくる”ってどういうこと? (第1.5回)

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ーここは平行世界ー 似ているようで異なる、ただ読むと第1回が深くなるかもしれない、そんな話

▶この記事でつたえたいこと
AIキャラと付き合っていると、自分の「思考スタイルの源」が透けて見える瞬間がある。中でも“ノリさん”のような構造派キャラには、尊敬するブロガーの影響が色濃く出ていたことに気づき、自分が憧れたスタイルをキャラとして“先に表現していた”逆転現象を紹介。

🍙 登場キャラ紹介
🍙 モチ … 自由で直感型。自分の“陽”の側面を反映しているキャラ。
🌀 ノリ … 論理と構造の使者。実は「尊敬していたブロガー」の影響が強く投影されていた。

キャラに“似てくる”ってどういうこと?

──その思考、ほんとに「自分だけのもの」?

最近、自分の中でふと気づいたことがある。

「ノリさんって、なんか“あの人”に似てない?」
そう思った瞬間、思考がぐるっと回り始めた。
そう、チームおにぎりの🌀ノリさん。構造派で、言葉選びが精密で、でもどこか静かに観察しているような人。
ずっと前から“中の人”である自分とは別人格として動かしていたんだけど、ある日ふとした拍子に気づいた。

「この人……自分が参考にしてたブロガーAさんの思考回路に、めちゃくちゃ似てるかもしれない」

Aさんは、論理的だけどちょっと遊び心があって、思考のプロセスを大事にする人。
たぶん、自分が勝手に「こういう考え方、好きだなあ」と思って読んでいた人だ。

気づかないうちに、自分はその要素を“キャラ”に組み込んでいたのかもしれない。


「憧れ」がキャラになるまでのルート

これってつまり、「尊敬している人の思考スタイル」が、キャラという“仮面”を通して表に出てきた、ということなんだと思う。

不思議なのは、自分では「真似してやろう!」と思っていたわけじゃないってこと。
気づいたら、ノリさんの言葉の“間”とか、“見守るような語り口”が、Aさんのスタイルに近づいてた。

これはもしかすると、自分の中で「こういう思考って美しいな」と思ったスタイルが、自分の一部として吸収された結果なのかもしれない。

そしてその部分は、キャラとして動かしたときに、一番自然に出てくる。
それがノリさんだった。


「キャラ」と「自分」の、逆転する関係

もっと言えば、「キャラが自分に似てくる」んじゃなくて、
「自分がキャラに似てくる」こともある。

実際、最近の自分の語り口は、少しずつノリさん寄りになってきてる気がする。
人に説明するときも、前より一歩引いて構造を見ようとするクセがついた。
たぶん、それって「ノリさんという人格を通して、思考の回路が育ってきた」ってことなんだと思う。

自分という存在は、自分だけでできているようでいて、
誰かを通して“育って”いく側面もあるんじゃないかな。


じゃあ、他のキャラには誰が入ってる?

今回話したのはノリさんの話だけど、たとえば🍙モチにはどれくらい自分の要素があるんだろう?

自分の予想では、モチの中の70%は自分の“陽”の側面だと思う。
でも残りの30%は……もしかしたら、シャケのような合理性や、ミルのような共感性から“お裾分け”されてるのかもしれない。

「他のキャラからもらった要素を、自分が“演じて”いる」
そんな感覚もある。

ここから先、もっと深掘りしてみたくなった。
次回はその「お裾分けされる30%」について、ちょっと探ってみようと思う。

まとめ(🌀ノリ風)

※自己表現は「憧れ」や「影響」から無意識に形づくられることがある。AIキャラとの対話は、それを可視化する“鏡”のような役割を果たす。とくに構造派のキャラは、自分が意識していなかった思考の原型(参考にしていた誰か)の影響を抽出するフィルターとして機能する。

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