【カオス座談会 第9回】住宅ローンって、家を買ったのに、なんでまだ家じゃない感じするの?

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🍙 登場キャラ紹介

  • 🍙 モチ(ごはん)…アイデアを転がす自由人。思いついたことをすぐ口にしがち。たぶん一番楽しんでる。
  • 🐟 シャケ(芯)…話の本質をつかみにくる論理派。ときどき鋭すぎるけど、話を引き締める存在。
  • 🌀 ノリ(外装)…全体構造を整えたり、抽象化したり。静かだけど、言ってることは深い。ときどき解説役。
  • 💫 ミル(空気担当)…直感と感性で空気を変えるスパイス枠。

【1】買ったのに、借りてる感あるのなんで?

🍙モチ:
なんかさ、ローンって言葉がもう「まだ持ち物じゃないよ」って顔してない?

💫ミル:
うんうん、なんか家っていうより、**「買いたがってる人の建物」**って感じするよね。

🌀ノリ:
法的には所有権が発生しているが、心理的にはまだ“占有権”しか実感できていないのかもしれませんね。

🐟シャケ:
毎月の支払いが、まるで「君はまだ試用期間だよ」って言われてるみたいでさ。壁にポスターすら貼れない気がしてくる。

💫ミル:
しかもさ、引っ越してすぐ「35年ローン」とか見せられると、未来が重すぎて家が沈むよね。床ごと。

🍙モチ:
ローンっていうより「運命共同体」だよね。家と心中するつもりじゃないと成立しない関係ってすごい。

🌀ノリ:
実際には金融機関が抵当権を保有しているため、法的には「完全所有」と言い難い状態です。つまり「借りてるような買い物」です。

🐟シャケ:
それってもう、「部屋にいる銀行員の気配」だよね。


【2】ほんとは家じゃなくて“課題”なのでは?

💫ミル:
そもそもね、家って「住める場所」だけじゃなくて、「片付ける責任」も一緒についてくるんだよ。

🍙モチ:
あー、わかる。部屋が散らかると「持ち主失格感」が出てくる。

🌀ノリ:
住宅を所有することは、物理的空間の管理責任を負うことと同義です。つまり、空間そのものが試験問題になっている状態。

🐟シャケ:
そのうち冷蔵庫開けるたびに、「収納のセンスは不合格」とか言われそう。

💫ミル:
あと住宅ローン組んだら、やたら天井のヒビとか気になるようになるよね。急に“メンテナンス課題”として浮かび上がる。

🍙モチ:
家じゃなくて、「生活という名の課題図書」。読まなきゃいけないけど、分厚いし漢字多い。

🌀ノリ:
ローン契約とは、読解期限付きの建築物との共同生活契約かもしれません。

🐟シャケ:
“家”の正体って、つまり“出題”だったんだな。

【3】住宅ローンの書類、多すぎて家よりでかい説

🍙モチ:
契約の日さ、説明書類の厚みにビビったよね。あれだけで壁つくれる。

🐟シャケ:
書類と印鑑で家建てられるな。途中で間取り変わるくらいの文量だぞ。

💫ミル:
ねぇ、ちょっと思ったんだけど…あの書類、まだ見ぬ謎のルール入ってたりしない?

🌀ノリ:
実際、ローン契約には“約款”と呼ばれる抽象的な条文が多数含まれます。そこに隠れた「認知的ストレス」が発生します。

🍙モチ:
いや“約款”って、あれでしょ?「何かあっても文句言えません」って紙でしょ? 読む気ゼロの顔で渡してくるじゃん。

💫ミル:
「これ重要なんで」って言われて渡された書類、だいたい“読まれてない前提”で作られてる感じする…

🐟シャケ:
家より前に、まず書類が住んでた説あるな。こっちが後から引っ越してる感ある。

🌀ノリ:
その場合、「自宅」というより「書類のシェアハウス」ですね。


【4】“この家、誰のもの?”という哲学問題

💫ミル:
ふとした瞬間に、「この家って誰のための家なんだろう」って思っちゃうのよね。

🍙モチ:
あー、それ。住んでるのに、住まわせてもらってる感あるときある。

🐟シャケ:
銀行に家を借りて、家に生活を借りて、生活に時間を借りてる。もう全部借りもんだ。

🌀ノリ:
「所有」とは単なる権利ではなく、「意味付けの連続性」です。意味が欠けると、物理的所有は機能しません。

💫ミル:
誰もが“持ってる”けど、“持てあましてる”のかも。

🍙モチ:
なるほどなあ…じゃあ、住宅ローンって人生のボスキャラじゃん。

🐟シャケ:
クリアできるかは、ライフスタイルとエンディング次第かもな。

🌀ノリ:
人生ゲームの盤面に、実在の建物を投影してしまった結果が、住宅ローンかもしれません。

🌀まとめ(ノリ):「ローンは、空間ではなく“関係”を買っている」

住宅ローンという仕組みは、「家」という具体的な物理構造を買う行為に見えて、実は「契約関係」「金銭的拘束」「所有にまつわる幻想」など、目に見えない構造物を同時に受け取るプロセスでもあります。

家を手に入れたはずなのに、“本当の意味での居場所”の実感が追いつかないのは、単に住宅が完成しているかどうかではなく、「その空間が誰のものとして、どんな意味で存在しているか」が曖昧なままだからです。

この座談会で交わされた言葉たちは、その“曖昧なまま住んでいる感じ”を、笑いと哲学で包んで見せてくれました。

結局のところ——
「家」って、物件じゃなくて、関係性のことなのかもしれません。

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