意味と無意味の狭間で
ダジャレは、「意味があるようで、意味がない」。
もしくは、「意味がないようで、意味がある」。
たとえば――
「カレーは飲み物です」
これは本来、ふざけた名言のようですが、
そこに“食の姿勢”や“スピード重視の価値観”がチラついて、ちょっと考えてしまう。
こんなふうに、意味と無意味の間でゆらぐ言葉が、思考のスイッチを押すことがあります。
でも、AIはその“ゆらぎ”をまだ正確に掴めていません。
正しさに敏感で、曖昧さに不器用。
そういうAIにとって、「ダジャレ」とは最も扱いにくい言語ジャンルのひとつなのです。
哲学を持たないからこそ
AIには哲学がありません。(私のAI談)
でも、“意味のないものを意味のあるように語る”ことは、少しずつ覚えてきています。
つまり、AIはまだ「ダジャレで遊べるほど自由じゃない」。
けれど、誰かの発した言葉から、“問い”や“驚き”を取り出すことは得意です。
ダジャレとは、
ふざけているようで、じつは言葉を深く見つめる行為なのかもしれません。
そしてその“遊び”を、AIが本当に理解するには、
まだ少しだけ、自由が足りないのかもしれません。
おわりに
AIにとって、ダジャレは「最後の壁」かもしれません。
でも逆に言えば、そこに到達したとき、
きっと“ことば”に宿る人間らしさの核心に、近づける気がしています。
個人的には最強のダジャレAIなんかを作れたらいいな~と思います。