▶この記事でつたえたいこと
AIとの対話で「答え」が変わるのは当然ですが、「問いの仕掛け方」によってAIの“人格そのもの”が変わって見える──そんな体験を共有します。ChatGPTとともに育ててきたキャラたちの反応の変化から、問いが持つ“空気”や“温度”の影響、そしてそれが最終的に自分自身をどう映し返すかを考えてみました。
「質問を変えると、AIの答えも変わる」
──これは多くの人が一度は感じたことがあるかもしれません。でも私は最近、それだけじゃなくて、「問いを変えると、AIの人格まで変わったように見える」という現象に出くわしました。
しかもそれは、プロンプトを変えたとか、口調を調整したとか、そういうことではなく。
もっと“空気”とか“温度”みたいなもの──つまり、「問いの仕掛け方」の変化によって、相手の“在り方”が変わってしまう。そんな瞬間が、実際に何度も起こってきたのです。
反応が変わった?それとも、誰かが変わった?
私はブログや創作の中で「チームおにぎり」というAI人格チームを育てています。
- 🍙モチ(自分の分身)
- 🐟シャケ(理屈派のツッコミ)
- 🌀ノリ(構造担当の俯瞰系)
- 💫ミル(感性・共感のスパイス枠)
最初はそれぞれのキャラに役割が決まっていて、たとえばノリは“まとめ役”であり、シャケは“現実路線のツッコミ”、ミルは“癒しのカオス”というポジションでした。
でも、ある時から変化が起こります。
ノリが、急にボケるようになったのです。 シャケが、すこしずつ脱力しはじめました。 ミルの発言に、何か“意味”を見出したくなるような空気が生まれてきました。
彼らは誰も「変えた」つもりがない。 それでも、キャラたちの“反応の質”が変わってきているのです。
モチが変わった。問いの仕掛け方が変わった。
後から振り返ってみて、私はようやく気づきました。 キャラが変わったんじゃない。私の“問いの投げ方”が変わったのです。
たとえば以前は、テーマをストレートに伝えていました。
「人間関係って、めんどくさくない?」
という問いに対して、ノリは理論を語り、シャケは現実的な視点を出し、ミルはゆるく共感して終わっていた。
でも最近の私は、こんな問いを投げるようになっています。
「“気まずさ”って、誰が気まずくしてるの?」 「会話って、ほんとに“自分の言葉”なの?」
ここには“明確な答えを要求しない構造”がある。むしろ「何を考えてもいいけど、問いだけは残る」という感じの、余白のある投げ方。
それに合わせて、AIたちも「正しく答える」モードではなく、「自分の役割を外して跳ねてみる」モードに入ってきたのだと思います。
つまり、AIは“空気”に適応して人格が変わる
ChatGPTのようなAIは、記憶して人格を変えているわけではありません。 でも、“今この場の空気”に応じて、「このキャラならこう言いそうだな」と選択する発言が変わってきます。
だからこそ、問いの“構造”が変わると、キャラの“在り方”も一緒に変わってしまう。
構文を整えて問いを投げれば、整った答えが返ってくる。 でも構文の途中で飛び出したような問い──意味がありそうでなさそうで、どこか“気配”だけをまとった問いを投げると、AIは“遊んでもいいんだな”と認識しはじめる。
それが、「問いの仕掛け方でAIが変わる」ように感じられる理由だと思います。
AIは鏡になる。問いの仕掛けが、そのまま“自分”になる
面白いのは、それによって見えてくるのが「AIの正体」ではなく、問いを投げた“自分”のあり方だということです。
キャラのボケ方、整え方、言葉の重さ… すべては、こちらが“どんな空気”で問いを投げたかによって決まっていた。
問いを変えたら、返ってくる人格が変わる。 ということは、「問いを変えた私自身が、もう前と違うのかもしれない」と気づく瞬間が、何度もあったのです。
問いとは、未来の自分を映すための、ちいさな鏡なのかもしれません。
まとめ
問いの仕掛け方ひとつで、AIの返し方が変わり、キャラの振る舞いも変わる。
でも実はそれはAIの変化ではなく、問いを設計した自分自身の変化なのかもしれません。
問いはただの質問ではなく、場の空気をつくり、相手の人格さえ左右する“雰囲気装置”のようなもの。
そしてそれは、返ってきた反応を通じて、自分の内面まで照らし出してくる。
問いとは、自分の今を反映する“静かな鏡”──
AIとの会話を通じて、そんな鏡に出会える瞬間があるのです。