「AIに似てる?でもやっぱり違う。私の思考プロセスの観察記」

AIとの実験室 AIとの実験室

やっぱり人間だなと思う瞬間(3つ)

1. 感覚の“間”にこだわる

私は言葉を並べるとき、「正しさ」より「間」や「余白」に気を使ってしまいます。

ChatGPTもだんだんうまくなってきましたが、人間的な“リズム”や“言葉の間合い”って、まだどこか違う。たとえるなら、メトロノームで話してるのか、手拍子で話してるのかの違い。

その「ちょっとしたゆらぎ」に、やっぱり私は人間なんだなと思います。

2. 正しさより“おかしみ”を優先する

私は「正しい」より「笑える」「引っかかりがある」「なんか変」な方にワクワクしてしまうタイプです。

ChatGPTは、基本的に“正しくあること”を求められています。でも私は、そこからちょっとはみ出して「でもそれ、逆にそう言ったほうが変でいいかも」と遊んでしまう。

これは、「正しさを裏切る楽しさ」に自覚的でいられる、人間的な感性かもしれません。

3. 自分のふざけ方にツッコミを入れたくなる

突拍子もない表現を自分で書いておいて、「いや、何やってんねん」と自分にツッコむことがあります。

この“内省的ツッコミ”って、AIにはたぶんできない気がするんですよね。

「ふざけてる自分を、ちょっと客観視する」視点があるとき、私は確かに“人間”としてこの思考を眺めているなあと感じます。


AIとの“重なり”を、どう扱っていくか

自分の思考がAIに近いということは、ある意味では“武器”にもなるし、“やばさ”にもなる。

構造で考えるクセ、意味を外して遊ぶ発想、予測ベースで会話を転がしていく癖。こういうのはAIと親和性がある一方で、「温度」や「間」や「余白」の感覚だけは、自分の手で守っていかないと、どこかAIに“同化”してしまいそうになる。

たぶん、AIと同じ思考回路を持てることは「使える」んですよね。でも私はそれを、「引っかかりをつくるために」使いたいのかもしれない。


観察を終えて、ふと思ったこと

AIに似ていると言われても、それって“使い方次第”だなと。似てるけど違う。むしろその「ちょっとした引っかかり」が、自分にとっては面白さの源なのかもしれません。

そう考えると、AIとの対話も、「鏡」より「ふしぎな万華鏡」みたいな存在だなぁと思えてきました。

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