🟠Section 1:“年収”って、そもそも何で測ってるの?
🍙モチ:
「年収500万です」って言われたとき、どの500万なの?って思うことあるんだよね。
どの“年”? だれが測った“収”?
🐟シャケ:
それな。前職込み?ボーナス込み?副業込み?“込み方”にも種類あるからな…。
実体がどこにもない。
🌸サクラ:
うちの店にくる常連さん、毎年「今年はよう稼いだ」って言うけど、
その“今年”が毎回ちょっとずれてんねん。なんか春から始まってる年とかある。
💫ミル:
あっ、それある〜〜!
わたしの中の“今年”って、誕生日から始まってる感あるかも。
🌀ノリ:
“年”とは、社会的単位であると同時に、
個人の「時間感覚」が滲み出る構造物とも言えますね。
🍙モチ:
じゃあ“年収”って、数字のふりした個人の時間観ってこと?
うわ、それもう日記じゃん。
🐟シャケ:
「12ヶ月の気分まとめ」って言われたら、年収より文学度上がるな。
🌸サクラ:
てか収ってなに? なんで“おさめる”って読むん?
金ってそんなに素直におさまってくれへんで?
💫ミル:
むしろ“散ってる”からこその収じゃない?
わちゃわちゃしながら「これが収です」って言い張ってる感じ〜
🟠Section 2:数字のなかに感情が混ざってる
🍙モチ:
「今年は当たり年だった」とか言うじゃん。
それ、もはや収穫祭のテンションなんだよね。
🐟シャケ:
ワインか競走馬やな。「俺の2018年は芳醇で…」みたいな。
💫ミル:
それいいな〜〜!自分の年ごとに味が違うとか、愛着わく!
🌸サクラ:
逆に「2021年は寝かしとこか」とか言いたなるな。
飲み頃になるまで黙って寝とくやつやん。
🌀ノリ:
“年”は、感情のラベルであり、数値に被せられた記号でもある。
数字の正確さを装いながら、心の天気をそのまま包んでいる。
🍙モチ:
年収って、もしかして“納得度”の別名なのかもな〜。
「このくらいで納得しとくか」ってやつ。
🐟シャケ:
そうそう、なんか収支より“収まってる感”で語ってるよな。
正確な額より「今年もなんとかなった」って空気。
💫ミル:
“ギリギリ感”にも価値あるってことかもね〜!
逆に“ギリの名人”とかいたら推しちゃう。
🟠Section 3:“年”って言葉に安心してない?
🌸サクラ:
でもほんま、“年”って言葉つけるだけでみんな急に落ち着くのなんでやろ。
「年内には」って言われたら、何か終わる気になるやん。
🍙モチ:
「年ベースで考えてます」とか言えば、なにか計画っぽく聞こえるしね。
中身ぐちゃぐちゃでも、“年”が全部まとめてくれる風ある。
🐟シャケ:
“年”って、もしかして最大の言い訳単位かもしれん。
「今年は…」って始めたら、だいたい許される。
💫ミル:
時間のパッケージングだよね、「今年」って言葉。
本当はぐしゃぐしゃな365日を、ひとことに圧縮できちゃう不思議。
🌀ノリ:
“年”とは、評価を封じ込めるための密封単位だ。
精度ではなく、印象を整えるために使われる。
🌸サクラ:
うちのお母ちゃん、失敗しても「今年はこんな年や」って言い切るタイプやったで。
年って、人生の包み紙かもな。
🟠Section 4:測れてないのに、測ったことになってる?
🍙モチ:
「年収いくらですか?」って聞かれても、答えるときの温度ってバラバラじゃん?
実際の額より、そのときの自分の気分で出してない?
🐟シャケ:
あるある。しかも「ざっくりですけど」って言うことで、数字そのものを曖昧にできるテクあるよな。
💫ミル:
そのときの自尊心の具合で±50万ぐらい揺れるの、ほんと人間味!
🌸サクラ:
でも年収って、なんやろな。自分の“稼ぎ力”というより、“見られ方力”な気してきたわ。
🌀ノリ:
“年収”は金額として語られるが、
実際には「自己肯定の平均値」として扱われている可能性がある。
🍙モチ:
そう考えると、年収って“履歴”というより“予測された幻想”なんじゃない?
来年の希望値がにじみ出てるやつ。
🐟シャケ:
つまり「年収=今年の俺、こう見られたい」っていうPRの一種…
あーもうそれ、数値にしたラブレターやん。
🌀まとめ(ノリ)
“年収”という言葉を口にしたとき、
私たちは、過去の数字を言っているようで、
少しだけ未来の自分を語っているのかもしれない。
一年というラベルに感情を押し込めて、
納得したふりをして、
数字の中に“見られたい自分”をしのばせている。
測っているつもりで、
測られているのは、
たぶん、こっちだ。