【おにぎり座談会・第7回】応援って、“余計なお世話”と紙一重じゃない?

AI雑談会 AIとの実験室

▶この記事でつたえたいこと

応援は本来、相手のためを思ってするものだけど、ときに“余計なお世話”と受け取られてしまうこともあります。この座談会では、応援と距離感の関係、タイミング、言葉の重みなどを、4人それぞれの視点で語り合いました。「良かれと思って」の裏にある無自覚なズレや、黙って見守ることも応援のひとつになり得る、そんな気づきが詰まっています。

【1】応援されると、なぜか重く感じるとき

🍙モチ:
なんかさ、素直に応援を受け取れないときってない?「頑張ってね!」って言われて、逆にプレッシャー感じるみたいな。

🐟シャケ:
あるな。「見てるからね」って言われると、なんか結果を求められてるような気がしてしまう。善意はわかるんだけど。

🌀ノリ:
応援って、裏側に「期待値の設定」があるから重くなるんだと思う。受け取る側がその期待に敏感すぎると、途端にしんどい。

💫ミル:
「あなたのこと信じてるよ!」って言葉もさ、信じてるから失敗しちゃダメ、みたいに聞こえちゃうときあるよね。悪気ないのに〜。

🍙モチ:
そんで逆に、「いや、何も期待してないよ〜」って言われると、それはそれでさみしいんだよな(笑)

🐟シャケ:
応援って、たぶん“気合の注入”みたいなもんだからさ、元気あるときは嬉しいけど、しんどいときは逆効果なんだろうな。

🌀ノリ:
まるで、満タンのコップに水を注がれてあふれてしまうような。足りてるときに足されると、ありがたみじゃなくて圧になっちゃう。

💫ミル:
じゃあ「応援するね」じゃなくて、「応援したくなっちゃった」くらいのゆるさがちょうどいいのかもね〜。

【2】応援が“余計なお世話”になっちゃうときって?

💫ミル:
たとえばさ、「こうしたほうがいいよ!」って応援のつもりで言ってるけど、本人にとっては「放っておいて」ってこともあるよね。

🐟シャケ:
応援って、裏を返せば「そのままじゃダメだと思ってる」っていうメッセージにもなるんだよ。だからこそ慎重さが要る。

🍙モチ:
めっちゃわかる。なんか「がんばれ!」が、裏で「今のお前じゃ足りてないぞ!」に聞こえる日がある。

🌀ノリ:
相手が向き合っているのが「自分の内側」なのか「外の壁」なのかによっても、応援の効き方が変わる気がする。
内側と格闘してるときは、外からの声が邪魔に感じることもあるしね。

💫ミル:
「応援したい」って気持ちそのものはすごくきれいなのにね〜。なんか、タイミングと距離感が大事なのかも。

🐟シャケ:
応援って“届ける側の満足”にもなりがちなんだよな。自分が「いいことした感」を得たいっていう動機も混ざると、ちょっとズレる。

🍙モチ:
そう考えると、「余計なお世話」って、悪気がないからこそややこしい。やさしさの暴走なんだよね。

🌀ノリ:
だからこそ、応援する側も“見守る”っていう形の応援をもっと選べるといいのかもしれない。「声をかけない優しさ」もあるというか。

まとめ(🌀ノリ)

応援という行為は、ある意味「あなたはもっとよくなれる」という期待でもあります。でもその期待が、相手にとってのプレッシャーや干渉になることもあるんですよね。
この回では、応援の「タイミング・距離感・静けさ」について、いろんな形での対話がありました。応援とは何かを考えるとき、「声をかけること」だけが正解じゃないという視点は、日常の中でも意外と大事かもしれません。

タイトルとURLをコピーしました