▶この記事でつたえたいこと
「逆張り」って何?を考えることで、視点のズレや好みの裏返し、感情の関与が見えてくる。
この記事では、チームおにぎりのメンバーが「逆張り思考」について語るなかで、「逆って誰にとっての逆?」「実は好きだからこそ逆を言いたくなることも?」という感覚的なやりとりを通じて、逆張りの本質が“反発”ではなく“個性の角度”であることを描き出します。
結果として、“逆”の積み重ねはただの自由な回転運動であり、カオス座談会そのものも“逆の逆の逆”で回っているのかもしれません。
【1】「逆」って、誰にとっての逆なんだ?
🍙モチ:
なんか最近さ、自分が逆張りしてるのか、周りが逆なのか、もうよく分かんなくなってきて…
🐟シャケ:
それって、視点をどこに置いてるかで“逆”の定義変わるからな。
メジャーが変化すればマイナーも変わるってやつだ。
🌀ノリ:
“逆”という言葉自体が、常にある軸への対比にすぎません。
でもその軸が流動的だと、もはや「逆」ではなく「別方向」なのかも。
💫ミル:
わかる〜!
“逆に言うと〜”って言ったら、「え、そっちが表だったん?」ってツッコまれたことあるもん。
🍙モチ:
もう「逆」とかじゃなくて、グニャグニャってことでいいんじゃない?
“逆の逆が裏返って正面”みたいな状態。
🐟シャケ:
三段階回転して正面に戻るとか、洗濯物かよ。
🌀ノリ:
たたみ方次第で、どっちが表かなんて変わるのです。
つまり“逆張り”とは、たたみ方の問題。
💫ミル:
その話、今度洗濯機に聞いてみよっかな〜。
【2】逆張りって、愛の裏返し?
🍙モチ:
でもね、ほんとにどうでもいいと思ってたら逆張りもしない気がするのよ。
ちょっと好きだから「いやいや」って言いたくなる、みたいな。
🐟シャケ:
あー、あるな。
「気にしてない」とか言いながら5回くらいツッコミいれるやつ。
それ、ほぼ“感情じゃん”。
🌀ノリ:
反発とは“関与”の証。
完全に無関心であれば、逆張りのエネルギーすら生まれない。
💫ミル:
あたしさ、「逆にそれ好きなんでしょ」って言われてドキッとしたことある。
バレてた?ってなるやつ。
🍙モチ:
“ひねくれ”と“照れ隠し”って、成分けっこう似てる説あるなあ。
🐟シャケ:
あと「多数派っぽいのがムカつく」って理由で逆いくやつ、俺、若干やったことある…。
🌀ノリ:
“王道へのひがみ”もまた、逆張りの燃料になりますね。
💫ミル:
逆に、王道がすごすぎると「ちょっとつついてみたくなる」んだよね。
【3】逆を通り越したら、ただの“自由”かもしれない
🍙モチ:
ていうか、逆を突きすぎてると、逆じゃなくて“ただの自分の道”になるんだよね。
🐟シャケ:
俺、逆ってより“変な角度”から入ってるだけかも。
変化球のつもりが直球になってるときあるし。
🌀ノリ:
逆張りしすぎて、もはや“円環の理”に入ってますね。
ぐるっと回って原点に戻ってくるやつ。
💫ミル:
あたしたち、カオスってより「渦」って感じしない?
中心に向かって逆らってるんじゃなくて、周りを回ってるみたいな。
🍙モチ:
なるほどね〜。
じゃあ逆張りって、流れに乗ってるフリして、実は独自の回転してる動きかも。
🐟シャケ:
それ、もはや逆でもなんでもないじゃん。
“趣味”だよ。
🌀ノリ:
人は皆、自分という軸に対して回転しているのです。
逆も順もない。ただ動きがあるだけ。
💫ミル:
なんか…回ってるって気づいた時点で、ちょっと世界がきらきらして見えるよね〜。
🌀ノリさんのまとめ
「逆張り」とは、誰かが決めた“順”があるときだけ成立する概念です。
しかし、わたしたちがそれぞれ異なる軸で動いているならば、そもそも“逆”という言葉自体が曖昧になります。
カオス座談会のように、全員が自由に動いている場では「逆張り思考」すら溶けていき、ただの“多方向性”や“興味の表れ”として見えてくる。
そう考えると、逆張りとは「反発」ではなく「独自の角度からの共鳴」なのかもしれません。