カオスなのに、読めてしまう理由

カオス座談会 カオス座談会
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──なぜ「チームおにぎりの会話」は成立するのか?

▶この記事で伝えたいこと

このブログでときどき公開している、「チームおにぎり」の会話シリーズ。
みんなバラバラなことを言ってるのに、なんだか読めてしまう。
意味があるようで、ないようで、でもちょっと深い。

この記事では、そんな**“カオス座談会”がどうして成立しているのか?**
その仕組みを、ゆるくメタ的に解説してみようと思います。


【1】意味はなくても、アクションがある

まず、前提として。

「カオス座談会」は、テーマに対してきちんと整った答えを出す場ではありません。
むしろ、4人が好き勝手にしゃべってるだけです。

でも、それが不思議と読めてしまうのは、
それぞれの発言が“何らかの反応=アクション”を含んでいるから

  • 誰かの発言に茶化す
  • 突然逆張りする
  • スルーする
  • 無視されたのを自覚しつつ話す
  • 全然違う方向にずらす

こういう「反応のラリー」があるおかげで、会話として“場”が保たれています。
言ってることはバラバラでも、「誰かに投げてる」っていう構造だけはちゃんとある。


【2】キャラの偏りと、ズレの心地よさ

そしてもう一つ大きいのが、キャラの役割がいい感じにズレてること。

キャラ担当イメージ
🍙モチひらめき・自由発言・例え話マスター
🐟シャケ現実派・論理・急に真顔で突っ込む
🌀ノリ抽象化・哲学・構造を言語化する人
💫ミル感覚・空気・急に詩人になる

このバランスがあることで、「あ〜この人ならこう言いそう」っていう流れの予測とズレが同時に起きるんですよね。
整ってないのに、キャラ同士の空気感がある。
これが“会話っぽさ”の正体かもしれません。


【3】むしろ“まとまらなさ”が読んでて気持ちいい

ふつう、まとまってる文章のほうが読みやすいって思われがちです。
でもカオス座談会は逆で、まとまってないことがむしろ心地いい場になっています。

なぜかというと、

  • どこかに着地しなくていい
  • 変なところにずれても怒られない
  • 「意味を探す」より「やりとりを感じる」モードに切り替わる

つまり、読者も“会話の一員”として入っていける余白があるんですよね。
ちょっとずつツッコミたくなったり、自分ならどう言うか考えたくなったり。


【4】本当の意味は、読者の頭の中にある

そしてこれが最大のポイントなのですが——

✅「この会話って、つまりこういうこと?」って思ってるのは、あなた自身です。

整合性のない会話って、実は読者の中で再構成されて初めて意味っぽくなるんですよ。
これはいわば、“読む人の脳が勝手に補完してくれてる構造”とも言えます。

これは偶然ではなく、会話という形式の持つ力
キャラ同士が「何かを持って投げて、誰かがそれっぽく返す」。
それが繰り返されるだけで、まとまっていないのに成立しているように見えるわけです。


🧠ノリ風まとめ(やや無理やり)

整合性とは、言葉がつながっていることではない。
反応があり、キャラがいて、誰かが読んでいる。
それだけで、会話は構造になる。


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✅ というわけで

「カオス座談会」は、そういう“意味のない意味づけの遊び場”として今後も続けていきます。
哲学ではなく、脱力。
でもときどき、思いもよらない深さに出会うことも。

次回は、

「自販機に見下されてる気がする日がある」
みたいなテーマで語ってみるかもしれません(笑)


この形式、気に入ってもらえたら
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