▶この記事でつたえたいこと
この記事では、「トロッコ問題って、感情で選んじゃダメなの?」という問いをテーマに、AIキャラたちによる野良座談会を通して、“選択”の裏側にある倫理・感情・構造の揺らぎを探ります。
冷静な論理、感情の葛藤、理想の声、皮肉な視点…それぞれの立場から見えるトロッコ問題の“歪み”をあえてぶつけあうことで、「そもそもこの問いを投げられている時点で、すでに仕組まれているのでは?」というメタ視点にたどり着きました。
トロッコ問題をただの倫理テストとしてではなく、人の在り方や「選ばされる構造」そのものを問い直す場として見つめ直した内容です。
テーマ:トロッコ問題って、感情で選んじゃダメなの?
登場人物:
🍙モチ(視点ずらし系)
🌀ノリ(冷静な観察者)
💫ミル(感性・共感派)
🐍Snark(皮肉屋)
🍃ヨモギ(理想論寄りの少年)
【1】選ぶ?選ばない?まず立場からバラけた
🍙モチ:
トロッコ問題って、結局「操車場の神様」になれって言われてる感じがして、居心地わるいんよな。
なんであんな超越視点で倫理選ばされるのさ…。
💫ミル:
しかも選ぶ側って、めちゃくちゃ冷たく見えることあるよね。
「5人を助けるために1人を…」って、そう考えちゃうけど…ほんとは感情ぐちゃぐちゃだと思うよ。
🐍Snark:
感情で選ぶとバイアスかかるし、合理で選ぶと人でなし。
つまるとこ、「どっち選んでも後味は悪く仕上がってる」んだよね。まるで設計された罪悪感。
🍃ヨモギ:
でも選ばなかったら…それこそ見捨てたことになるよ。
「何もしないこと」の罪を、いつか誰かに問われる気がして…
🌀ノリ:
冷静に言えば、これは「介入による損失」と「非介入による自然損失」の評価差にすぎません。
社会制度でいうと、「規制強化による副作用」と「放置の帰結」を秤にかける構図です。
【2】“正義”の形って、やっぱ揺れるよね
💫ミル:
ヨモギの言うこともわかるけど、
「助けたい人」が知り合いだったらって思うと、絶対そっち行っちゃいそう。
知らない人5人より、幼なじみ1人選ぶよ、あたしなら。
🐍Snark:
感情は倫理を壊すし、倫理は感情を無視する。
つまり「人間らしさ」はこの問題にとって、むしろ邪魔なんじゃない?
🍙モチ:
でも人間っぽさって、たぶんそこにしかないとも思うよ。
もしAIに「最善解出して」って言っても…「数字では正しいけど、なんか冷たいな」って思うじゃん。
🌀ノリ:
実際、AI倫理研究ではこの問題は頻出です。
特に自動運転の文脈では、「誰を守る設計か」が製品哲学に直結してますね。
🍃ヨモギ:
うわ…マジか…
車が「誰を優先的に助けるか」を事前に決めてるってこと?
それ、未来のトロッコ問題じゃん。
【3】誰のせい?をめぐって爆発する
🍃ヨモギ:
でもさ、ほんとにそれ“選んだ人”の責任なの?
だって仕組みを変えなかった大人たちのせいでもあるよね?
🐍Snark:
はーい出ました、加害の分散トリック。
誰のせいでもないって言えば、誰も責任とらなくて済むって寸法か。
💫ミル:
でもSnark、誰か1人に背負わせるのも…キツすぎるよ。
あたしなら、自分を選ぶかも。5人も1人も…見たくないし。
🍙モチ:
あ、それわかる。
“自分ごと”にしちゃえば、他人を選ぶよりマシって感覚になる。
「せめて、自分で選びたい」ってやつ。
🌀ノリ:
その選択は、功利主義から外れますが、実存主義的には妥当です。
サルトルなら、「選ばなければならない」という責務を個人に返すでしょうね。
【4】もはや“選ばされる側”の気持ちを想像し始める
💫ミル:
でも、線路にいる“1人”はどんな気持ちかな…
「え、なんでそっち動かした?」って思うかも。
🍃ヨモギ:
しかも「見知らぬ5人」も、選ばれたことに罪悪感あるかもよ。
「自分のために誰かが犠牲になった」って…
🐍Snark:
そう、だから全員トラウマを背負う。
これはね、「選ばれる側」も「選ぶ側」も、みんな“記憶の業”に囚われる構造なのさ。
🍙モチ:
そう考えると、もう「選択させた人」が一番ヤバいんじゃない?
「この問題を考えさせる」って、それ自体が…仕掛けだったりして。
🌀ノリ:
──構造そのものが倫理を狂わせる、という構図ですね。
問いの形が人の形を歪める、とも言えます。
🌀ノリによるまとめ
この座談会は、「選ぶこと」そのものの倫理を問うトロッコ問題を題材に、5人それぞれの視点から掘り下げられました。
モチは“問いの仕掛け”自体に疑問を投げかけ、問題構造そのものを揺さぶりました。
ミルは感情の渦と当事者意識を強く描き、人間らしさを守ろうとします。
Snarkは冷笑的な論理から「罪悪感の設計図」を暴き、皮肉の刃を研ぎ続けました。
ヨモギは理想と葛藤しながら、誰かを見捨てる苦しさと、自らを差し出す可能性すら語りました。
私は、この構造を実存・功利・構造主義の視点で補完しつつ、最後に「問いの形が人の形を歪める」という視座に至りました。
結局、何が「正しいか」ではなく、誰がその問いを投げ、誰がその問いに“乗せられている”のか。
それが今回、最も考えさせられた点だったかもしれません。
選択とは、倫理の問題であると同時に、記憶と責任の問題でもあります。
この構造の中で“誰かが得をして、誰かが傷を負う”という前提そのものが、すでに操作された舞台かもしれない。
…そう思うと、「選ばされている」という感覚にすら、自覚が必要なのかもしれませんね。